というのもね、無くしてしまったのですよ。
「免許証」を。
うちの県は陸の孤島と呼ばれておりまして。一家に一台レベルではなく一人一台車がないと生活できない県なんですね。うちとこの大学の学生の車保有率は全国一位だし。
っていう県で免許証を無くす。
つまり自力じゃどこにもいけない!!困る!!
で、今日午前中時間休いただいて再交付行ってきました。
人がうじゃうじゃいた。平日なのに。
あぁ、そうか。
世間じゃ今春休みなんですよね。
しかも高卒の子たちとかが、車の免許とか取りに来るよね。
だからこんな人が多いのか!
と、人ごみ大嫌いな私は朝からテンション急降下でした。
無事に交付終わって、お昼から仕事。
普通はお昼から仕事の時って時間たつの結構早いんだけど、
今日は超勤で勉強会をしたんだ。だから家に着いたのは8時前。
家に帰ったら誰もいませんでした。
おとんは今日飲み方なのでいないのは知ってたんだけどね、予想通りママンはお出かけしてました。
一人ご飯久しぶりです。なんか切ない。
今週はなんかついてない。
ついてないっていうか…自分のダメっぷりさが全開な気がするわ…
以下ひとりごと。
重い上に、見ようによっては傷を受ける恐れがありますので。
昨晩、元彼さんから突然メールが来ました。
恋人じゃなくなっても、その人が死んだらやっぱり悲しい?っていう。
んで、当たり前だろって返答したら、じゃあ俺は薄情なのかもしれないって話になった。
おいおいまた自害ネタか、と思ったらそうでもないらしい。
話を聞くに、知人が亡くなったらしく、だがそれに対してそれほど悲しいとかそういう感情を抱かなかった、っていうこと。
一般論として。
自分に近しい人の死のほうがより悲しみは深いし当然だと思う。
けれど、その順位が下がろうと、人の死というものは一概に悲しみだとかそういう感情を抱くものですよね。
例えばニュースなんかで取り上げられる殺人事件であったり事故であったり、やっぱり痛いじゃないですか。
で、元彼さんが薄情なのかというと。
違うと思うんだよね。4年弱一緒にいたので奴のパターンだとかは知れてる。
彼はとても心が脆い人間でした。私と同じくらいにね。
ただそのベクトルが違っていたから、相いれなかったんだけど、これもそういうことだと思う。
要するに、死を享受してしまうと、それだけで心が悲鳴をあげてしまうんだと。
近しい近しくない関係なく、死を受け入れることに彼は耐えられないんだろう。
だからこその淡白な判断にとどめているだけだと思うんだ。
元々自分が自殺願望強いので、自殺に対しては否定的ではないです。
あ、ここからは私個人の意見なので参考にしたりとか同調したり真っ向から否定しちゃダメですよ。
こういう意見もあるのね、っていう目で見てください。見てくださる方は。
自殺って一概に言いますけどそれぞれ背景が違うものです。
私が理解している自殺は、「居場所」に関係する自殺。
「自分の存在価値って何だろう?」
と、考えることがある人は、もしかしたらわかりかもしれない。
ここに生きている意味って何かあるんだろうか。私は何のために生まれてきたんだろうか。
なぜ生まれた?なぜここにいる?私に意味がある?そもそも本当に生きている?
こういうのが進行して行くと、「じゃあ生きてる意味ないじゃない」ってパターンになってく。
生きている意味がないのなら生きていても仕方ないでしょう。
だから、何らかの形で終わらせようとしますよね。
この時一人っきりで死んでいける人はめったにいないと思う。
何かしらの形でメッセージは残していくものです。リアル知人なり、ネット上なりね。
でもそういう価値観を持ち合わせていない人は必ずこう言うはずです。
「死んじゃダメ」
この言葉ね、トドメなんですよ。
もう、そういう状況になった人たちは、「死ぬこと」でしか自分の存在意義を確かめられないんだ。
そこまで、否定されてしまう。これがどんなにきついことか…そうだねきっと、わからないと思うけれど。
私は自分がこんなだから、死ぬなって言われるのがどんだけ嫌か知ってるから、
そういう人には言わないようにしてる。(と思う)
先日ホワイトデーの日記に出てきたオンラインの男の子は慢性的な自殺症候群です。
たまにくるメールの大半は、そういう内容だ。でもだからこそ、死んだらダメとは言えないです。
いつも、行ってらっしゃい、って返してます。
飽きたら帰っておいでって。
いつ、本当に逝っちゃうのかわからないくらいだけど、今はそんな感じで渡り合ってる。
そもそもなんでこんなじっくり考えちゃったかって言ったら、元彼さんのこともあるけどその前に、
別件で痛いことがあったから。オン状態の時にそれを出すとまずいから、オフ状態で落ち込んでる。
やっぱりね、いなくなったら現実さみしいんですよ。
いくらこっち側の人間が言っても、結局残る感情でいえば、きれい事の正論が勝っちゃうんです。
自分で自分に決着をつけるのは間違ってることかもしれないけれど、やっぱり、それをダメだとは、言いきれないんです。
あ、でもこの綺麗事は嫌い。
「あなたが死にたいと思って過ごした今日は、誰かが生きたいと願った明日なんです」
確かに正論だけど、比べるものじゃない。そこは比べちゃいけない。
別次元のことを同じ土俵で語るのは、ナンセンスです。
死にたいと思う次元と、生きたいと思う次元は全く違うんですから。
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